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詩という生活・オオカミ編集室のブログ

光冨幾耶の文芸雑記・雑感、文芸雑誌「オオカミ」の告知・情報ページです。

きょうも雨。

基本的に、この地上は、不条理と不合理と不都合で出来上がっている。一部支配者層にとっての数千年(文明をまたげば数万年)に及ぶ有利なゲームのためでもあるが、この三次元の場と、輪廻転生のシステムによって、報われなかったり、望む人生でなかったりする。

魂の修行のため、望んで人生の設定を選ぶ場合と、業(カルマ)取りのために選ぶ・選ばされる場合と、計画外・想定外の事柄が多重に影響しあい、もはや自分が選んだ人生であろうと、選ばされた人生であろうと、自由であろうと、自由でなかろうと、利己主義であろうと、利他主義であろうと、自我であろうが、偽我であろうか、どうしようもないことを続けることもあり、やめてもうまく行く保証(担保)もなければ、さらに破滅的・壊滅的になることもあり、仕方ないので、ひと相手ではなく、神相手にこころのなかで語っていくという諦観気味のきょうこのごろである。宗教というより、自分のなかの神・宇宙の神への信仰。ここで書くことは単なる愚痴かもしれないが、愚痴以上の何かでもある。やること、たとえば会社の仕事とか、依頼された案件とか、そういうものがなければ、少年時代のようにただ寝ていて、心のなかでは、違う次元にでかけるということをしているだろう、というか、隙間の時間でそうしている。そちらに行くと、現実的な連絡や会合からは遠のく。が、わたしにとっては、現実的な事柄よりも夢想的な事柄のほうが、より自由で自分らしい。わたしの場合の夢想は、瞑想へと移行する。

オオカミ41号は昨日納品された。近日、参加者と謹呈先に発送する予定。
神奈川新聞の時評と柳沼詩集の表紙案Aは、本日午前でだいたい出来上がった。早起きして午前中に一日の大半の仕事を終えると、あとはのんびりできる。

きょうは朝食をすませたので、これから、近所の遊行寺(一遍上人開祖のお寺)参りと、発注した眼鏡を取りにいく。神仏とすこしお話をすることが、何よりの楽しみである。
ご利益信仰は初歩なので卒業すべきだろうが、奇跡のような偶然がたびたび訪れることもある。(「偶然」はなく、必然か、天の配慮・仕業かもしれないが、「偶然」と地上では呼ぶ)
とくにわかる形で何もなくても、楽しいから、それでよい。(自分の本体の魂が喜ぶから)

きょうも雨。肌寒く、わたしは寒さが苦手なのだが、浄化と恵みの雨でもある。生きているという実感はある。







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