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詩という生活・オオカミ編集室のブログ

光冨幾耶の文芸雑記・雑感、文芸雑誌「オオカミ」の告知・情報ページです。

雑記。そろそろ快復。

数年前の2回の新型コロナワクチン接種、昨年の新型コロナ感染等で、長く体力的・気力的にも倦怠感やいままでなかった筋肉の痛み等(心臓や胸やそのほかの部位)があったが、ようやく今年の1月で抜け始めた感があった。新型コロナワクチン薬害があるのではないかと疑っていたが、今後は社会はこの方向で進むのだと思う。ふつうはこの手の後遺症等はなかなか抜け出すのが難しいようなケースもあるらしい。今年はわたしは引き続き「健康第一」、デトックス。


本日は、新聞の文化時評・現代詩の本読みと下書き、明日は脱稿予定。ほかに依頼の詩の関係がいくつかあるのと、自分や家庭のこともしないといけない。平日は会社の仕事だけで背一杯になってしまうので(若い頃よりは体力・気力が続かなくなったので夜は、休養を取るようにしている。たまに作業や調査や連絡をしているが)、休日も忙しい。

とある方の詩の全集を企画中。年内発行予定。2つの詩誌の制作入稿待ち。他。

「オオカミ」43号は、3月末締め切り。わたしも作品を仕上げないと行けない。「詩と思想」の締め切りも3月20日で、こちらも仕上げないといけない。

オオカミ参加者では、第24回日本詩人クラブ詩界賞候補に佐相憲一さんの『生きることと詩の心』があがっているので、楽しみではあるが、金井雄二さんの『げんげの花の詩人 菅原克己』もあがっているので、どうなるか。
横浜詩人会会長・佐相さんと同理事長・金井さんのお名前が2つ挙がっているのは、横浜詩人会としては、すごいことなのかもしれない。



 









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雑記。本日は横浜詩人会総会。及び自作の解説。

万年風邪ぽいみつとみでありますが、本日は横浜詩人会総会だった。カメラマン役で参加。佐相憲一会長のここ数年は大変フレンドリーな詩を楽しむ会となった。会員も増えている。わたしもそれなりにあいさつをしていた。


さて、前に自作の「明るい砂場にて」という作品を「オオカミ」とこのブログに掲載したが、一部読者としては気になる点もあるようで、それはそれで有り難い。自作の詩の解説は本来避けているのだが、今回は3点だけ触れたい。

1、話者はだれか? 作者である。子どものころのわたしの実体験で、ほとんどそのまま記憶に従い書いた。

2、暗い砂場なのになぜ「明るい砂場」なのか? いじめっ子(暴行者)たちは嫌がらせをして声をあげて喜んでいるのだから、彼らからすると、「明るい砂場」なのだろう。(3人がかりで砂山を作るより、一人で作る砂山のほうが早く高かったので、腹が立ったのであろう。それに相手は一人だから悪さをしても仕返しされる心配もない)わたしにとっては、雲があるだけで、その上には太陽があるのだし、暗い砂場でも「明るい砂場」なのだ。なぜなら、作品に書かれていないので読者は知る必要はないし書いても仕方が無いが、わたしの最初の友だちは野良犬のシロであり、この子と遊んだのが砂場だったのだから。悲しくても孤独でも、わたしにとっては「明るい砂場」なのだ。もちろんいじめる側への皮肉でもあり、悲壮な自分に対する皮肉(自虐)でもあり。(わたしの最初の友だちはひとの子ではなく、ワンちゃんだった。いまでも散歩すると、ほかの飼い主の犬にもわたしは良く好かれる)

3、「ひとの子」と呼ぶ話者はどのような存在か? ひとの子であり、神の子である。それはいじめっ子の「ひとの子」も同じだ。ひとの子は神の子でもある。だが、彼らはわたしを「ひとの子」ではなく、「獣の子」あるいは「欲求不満解消機」として物扱いした。つまり、本来は人の子は神の子であるのに、話者だけ、「ひとの子」として扱われなかった。その悲しみやつらさや苦しみを、俯瞰の視点で見ていじめっ子を「ひとの子」として、つらい目にあっている自分を見ていたのである。あまりにつらいので、体と心が分離したかのように。
(人からエゴを取り去って、神聖さを取り戻せば神に等しくなる)

4、おまけ。本来はではそうであるのなら、そのように読めるように書けというところだろうが、それはひとそれぞれの読解によるので、どこまで説明ではなく書くのかというのは、小説ではないし、詩の永遠のテーマのように、試み続けるのだろうと思う。この詩は、いじめる側といじめられる側と傍観側・気づかぬ者側(結果的に仕方が無いとはいえ、いじめを容認してしまう側・スルーしてしまう側)と慰める振りをする普段はいじめる側の4者に、どの立場にも逃れられることができない(どれかになってしまう)という点が、味噌である。

ということを書いても仕方ないので、普段は書かない。今回は、余計なことを書いた。容赦。自作の解説はつまらない。



雑談。とくに話すこともないのだが。

また風邪気味のわたしだが、しかたない。考えてみたら、子どものころから風邪気味だった。小さいころから、ハウスダストとダニのアレルギー性鼻炎もあるので、半世紀以上は、風邪っぽい。いまだに地球の環境になじめないらしい。ということで、そろそろ宇宙に帰りたいみつとみですが、みなさまにおかれましてはいかがおすごしでしょうか。(といってもまじめにご返事をされても困るかもしれませんが)

ちなみに知己ではない方からたまに、あるいはときどき、個人メッセージを、各種SNSからいただきますが、ご返事していません。きりがなくて対応できないので、すみません。いろいろ事情があるので、知り合い以外の方とは、お話をご遠慮させていただいています。FBのメッセンジャー(というのがあるのですか?)も以上以下天地前後左右の理由でしていませんので、詩と仕事関係の方やそのほかサークルや商品・サービスの関係の方は、登録のメールでお願いします。SNS関係はいろいろあるので、なるべく避けています。ときおり、不評があるようですが、登録の個人のアドレス以外は連絡しないので、ご了承ください。(不評は気にするときと、全く気にしないこともあり、まったく気づかないことはなかったことになるので、ご了承ください。もしかしたら、そもそもみつとみという人間はいないのかもしれません)
そろそろ趣味人として隠遁したい気持ちがあるのですが、しばらくは役割があるので、消極的にお仕事・依頼等を継続させていただいています。(若いころは仙人にあこがれることもあったのですが、修行は厳しいらしいので、そのうち流れました。本を読んで、小周天ぐらいはチャレンジしました。これはヨガや健康法やスピスピでも似たようなものがあるようです。チャクラ活性化するらしいです)
また、以上のように非常に人見知りなので、役割以外では、会社や詩やサークルでの社交の場にもあまり顔出ししていませんが、ご了承ください。人が集まるところは苦手なので、宇宙に帰るために、薄い銀紙を集めて、いま自分用の円盤型宇宙船を作っているみつとみです。
ときどき、詩と同じで実体験と虚構が微妙に混じり、昔からの癖で、本音と事実と冗談が混じるので、これを見極めるのには、たぐいまれな知性と常識と本質を見る眼力かもしくは、純度99パーセント以上の直感力が必要ですが、あまり気にしないのが一番です。はい。(ほとんどのひとはもちろんわたしのことをしりませんが、わたしもほとんどのひとのことをしりません。健全かもしれません)
普段無口ですが、言うと、いろいろ言えるので、いろいろあるので、言いません。今度、テレパシーでお話しましょう。普段は、スイッチオフしていて、スイッチがどこにあるか忘れていますが。
この文章をAIが書いていたら笑ってしまうのですが、まだAIはすこし質問するぐらいしか使っていません。わたしが完全にAIに追い抜かれてしまったら、仕事はロボットとAIにまかせて、わたしは庭や道ばたのお花たちとお話しながら(わたしの昔からの日常でもありますが)、神社で女神様たちときゃーきゃーいいながら、男神様とわいわいいいながら、楽しく人生を寝ぼけ眼で過ごしていきたいと思います。そのころには、手作りの銀紙製の宇宙船も出来上がっていて、試験飛行をしているかもしれません。あとは、宇宙空間に出た場合に、のり付けでセロテープでとめた銀紙の間から、空気がもれないかが心配です。これには卓越したのり付けのスキルが必要かもしれません。(ちなみに動力源は「動け」という思念と風向きです)
ということで、そういえば詩の団体から動画編集を頼まれていたと思うので、午後はそれをしようかと思います(や! もう午後だ!)。別の詩の団体の会報の原稿依頼もしないといけません、いちおう、仕事師でもありますが(よくわたしに依頼する気になるものですが、いちおう根は真面目らしいです)、ここまで読んでくださった方は、時間には限りがあるので、ご自分の休日を楽しまれるのがよろしいかと存じます。あしからず、あしからしからず、あげあしとらさらず、あすとあさってわがみしらず、と真言のように唱えれば、きっと光冨乃命(みつとみのみこと)の笑いが音ずれる、訪れるでありましょう、合唱、合掌、なむなむ、ねむい。(いかん、作業時間が予想外に取られてしまった!)




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