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詩という生活・オオカミ編集室のブログ

光冨幾耶の文芸雑記・雑感、文芸雑誌「オオカミ」の告知・情報ページです。

雑感。地上の生活について。

新聞に書く文化時評の本読みをしているのだが、休憩。


さいきん、思うのだが、あるいは子供のころからだが、地上の生活というのは、どうもしっくりいかない。なぜかなということだが。

そもそも物質世界だから、ということもある。この地上は、生物は生きていくためにほかの生き物を食べないといけない。食べられるほうは生きたいわけで、悲しかったり、苦しかったり、痛みがあったりする。つまりこの地上の世界は、すでに残酷な悲劇が前提である。喜びもあるが、悲しみもある。それも貴重な体験ということと、利己と利他の愛を学ぶということでもあるのだろう。
意識体の世界では、そういう残酷な悲劇は一部を除いてないだろうから。

生死とまでいかなくても、差別や格差や暴力などが見える形と見えない形とでどこにでもある。

つぎにお金が必要な社会となっている。お金が必要なので、働かないといけないひとは、生活のため、生きるためにお金のために不本意な仕事や選択をしないといけないこともでてくる。極端のことを言えば、自分が生きるために、自ら、あるいは他者から命令されて、人を殺し、他国を侵略して、利益を得たり、したくはないのだが、それに関与することを強制させられる。従わなければ、死が与えられることもある。
お金はあってもよいが、それがなくても生きていける社会システムになれば、不本意な人生の選択の割合が減るのではないか。意にそわないことはしなくてもよい、自由が確保される可能性が広がる。

社会のシステムは政治が作るとして、政治体制は理想と反し、民主主義はポピュリズムに陥るし、共産主義は一部エリート独裁となる。ともに上に立つ権力者とその統治システムが賢明か我欲かで国民なり国は悲劇の円環を成していく。

物質を超えて、半物質になれば、意識を凝縮すれば物資化でき、意識の波動を上げるなどすれば、意識体つまり純粋なエネルギー体になることもできる。そうすれば、時空を超えることも、変身・変化も可能だ。

そういう風に次元上昇できれば、不老不死も可能で、肉体的死というものはない。病気や怪我も克服できる。自ら必要に応じて再生できるのだから。

それができるのであれば、この地球という惑星での人生も豊かな可能性が出てくるが、もしいまと同じように延々と悲劇が続くのであれば、わたしのような個性は、この生で輪廻転生は終わりとして、意識体の世界で永遠に生活するか、意識体あるいは肉体を持ってほかの惑星に移住するかということになる。というか、もう、この地上の生活で、輪廻転生とか、生まれ変わるとかしたいという気がしない。物心ついたときから、半世紀以上生きている今でも、理想的な世界とは言えず、おそらくは、現在は、何度かあった文明・人類絶滅の危機、ターニングポイントにある。つまりわたしはそこにいるだけでも、規定の範囲内に身を縮め、個性を隠し、息をひそめ、声をひそめ、しかし求められたことに関しては、効果を得られるよう発現・行動していかないといけない。実に息苦しい。いまでも続くコロナ禍のマスク生活のようだ。

わたしの人生は残り寿命は三十年ほどと想定できるので、この世界がどこに向かうのか、観察して、一部は記録していくのだろうなと、それがわたしにできることなのかなと考えている。

という一人雑感。

明日は、時評の仕上げというかまだ下書きを書いていない。午後は居合の稽古の予定。

依頼のT誌のDTP制作進行中。N氏の電子版詩集の制作企画進行中。

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オオカミ40号印刷版発行/横浜詩人会賞贈呈式・講演/雑記ほか

オオカミ40号印刷版発行しました。近日、参加者・謹呈先に発送予定です。

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(本の大きさ、書体等は閲覧するメディア=PC、スマホ、タブレット等の環境により違います)

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本日は横浜詩人会のイベントがあります。

◎「第54回横浜詩人会賞贈呈式と講演・朗読」ご案内
2022年10月15日(土)13:00~16:00(開場12:00)
鎌倉芸術館・会議室  入場無料
(大船駅東口・笠間口 徒歩10分)
司会:服部剛・原田もも代
第1部  講演:金井雄二「詩人の話をしよう」
第2部  第54回横浜詩人会賞贈呈式 
塩路明子詩集『魔法の森』
第3部  話題の詩集から著者本人の朗読

詳しくは横浜詩人会HPまで。pdfのチラシあります。

ということで、ご興味のある方は、イベントにおでかけください。
事前予約は必要なしとのことです。

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(ここからはいつもの雑記)
今日は、上記イベントがあるが、家で、事務作業や編集作業やそのほかの用件をするために休日は家に篭もっている。歩いていける道場での居合の稽古は、しているが、文芸関係や体調面でときおり休むこともある。

わたしの日常は平日の会社の仕事が終われば、夜や休日に文芸関係の事柄をしている。これは二十年くらいそのような感じだが、ここのところ、各所から案件がこなせる範囲で続いているので、表にはでないが、多忙ではある。というか、あまり表にでることは好きではない。ここ7、8年くらいは会社でも実験室とか測定室で、一日、こもっている。最近は、図面とにらめっこをしながら、朝から夕方まで部品の測定をしている。
いつまで働くのかが、ここ数年気になっているところである。65歳ぐらいまでは、どこかに勤めているかもしれない。70歳までは勤まるか不明。
表にでるのは役割上の場合に限られ、基本的に本を読んだり詩を書いたり、PCやマシンをいじっているほう楽であるし、それでそういう方向を選んでいる。

居合は、3年くらい前か知り合いのライターさんに誘われて、始めた。見学の際に館長が楽しそうに居合の魅力を語ってくれた。習った流派の居合は、基本表(おもて)の演武はひとり(数人で演武することもあるが対面はしていない)でするので、想像力の世界である。杖術や体術は、相手との対面での演武なので、わたしは居合のほうが好きであるが、わたしの習っている流派は総合的なものなので、杖術(棒術)もすこししている。体術(護身術・関節技)は、あまり得意ではないが、触りだけ習った。
11月には、鶴岡八幡宮で演武会があり、参加することになっている。

ということで、そろそろ頼まれている案件の作業の続きにはいる。








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